映画『Who Killed Nancy(フー・キルド・ナンシー)』 [映画]
1978年10月12日、ニューヨークのチェルシー・ホテルの一室でシド・ヴィシャスのガールフレンド、
ナンシー・スパンゲンの刺殺体が発見されました。同じ部屋にいたシドが容疑者として逮捕され
ますが、そのシドも保釈期間中の1979年2月2日、事件の全容が解明する前にヘロインの過剰
摂取で急死してしまいます。容疑者の死亡ということで、捜査は打ち切られたそうです。
『Who Killed Nancy(フー・キルド・ナンシー)』は、文字通り、「誰がナンシーを殺したのか?」を
探るドキュメンタリー・タッチの映画です。ストーリー性はほとんど無くて、関係者のインタビュー
を中心に構成されています。当時シドやナンシーと交流のあった人々の口から、興味深いエピ
ソードや事件についての見解が語られ、事件の関連資料と思しき文書、シド直筆のメモや遺書
などの映像も出てきます。
ただ、監督のアラン・G・パーカー自身も不可能なことと認めているように、『Who Killed Nancy』
に対する明確な答えは見つかっていません。(まあ、素人の調査と推理ですから…)
インタビューを聞いて感じるのは、やはりシドとナンシーのヘロイン中毒が深刻だったことです。
「誰がナンシーを殺したのか?」に対する答えはもちろん私にも分かりませんが、ドラッグが大き
な要因の一つだったことは否定できないと思います。(ただ、何故二人が依存症になってしまっ
たのかと考えると、根本的な原因は本人以外の別のところにあると私は思っていますが…)
ところで、本作品には出てこないのですが、ナンシーの死後、シドから届いた手紙を読んだナン
シーの母親はナンシーを刺したのはシドだと確信したそうです。もっとも、実際に問題のナイフを
シドに手渡し、事の次第を演出したのはナンシー自身だろうとは思ったようですが…
「ナンシーへの愛の証(あかし)としてナイフで刺すようナンシーに命じられたシドが、その要求に
応えてしまった」という、まるで二人のSM的な主従関係でも連想させるような大胆な推理です。
もともと強い希死念慮を持っていたナンシーが、シドを使って望みを遂げたと結論づけたようです。
結局のところ、真実は「神のみぞ知る」…ということなのでしょうね。
ナンシー・スパンゲンの刺殺体が発見されました。同じ部屋にいたシドが容疑者として逮捕され
ますが、そのシドも保釈期間中の1979年2月2日、事件の全容が解明する前にヘロインの過剰
摂取で急死してしまいます。容疑者の死亡ということで、捜査は打ち切られたそうです。
『Who Killed Nancy(フー・キルド・ナンシー)』は、文字通り、「誰がナンシーを殺したのか?」を
探るドキュメンタリー・タッチの映画です。ストーリー性はほとんど無くて、関係者のインタビュー
を中心に構成されています。当時シドやナンシーと交流のあった人々の口から、興味深いエピ
ソードや事件についての見解が語られ、事件の関連資料と思しき文書、シド直筆のメモや遺書
などの映像も出てきます。
ただ、監督のアラン・G・パーカー自身も不可能なことと認めているように、『Who Killed Nancy』
に対する明確な答えは見つかっていません。(まあ、素人の調査と推理ですから…)
インタビューを聞いて感じるのは、やはりシドとナンシーのヘロイン中毒が深刻だったことです。
「誰がナンシーを殺したのか?」に対する答えはもちろん私にも分かりませんが、ドラッグが大き
な要因の一つだったことは否定できないと思います。(ただ、何故二人が依存症になってしまっ
たのかと考えると、根本的な原因は本人以外の別のところにあると私は思っていますが…)
ところで、本作品には出てこないのですが、ナンシーの死後、シドから届いた手紙を読んだナン
シーの母親はナンシーを刺したのはシドだと確信したそうです。もっとも、実際に問題のナイフを
シドに手渡し、事の次第を演出したのはナンシー自身だろうとは思ったようですが…
「ナンシーへの愛の証(あかし)としてナイフで刺すようナンシーに命じられたシドが、その要求に
応えてしまった」という、まるで二人のSM的な主従関係でも連想させるような大胆な推理です。
もともと強い希死念慮を持っていたナンシーが、シドを使って望みを遂げたと結論づけたようです。
結局のところ、真実は「神のみぞ知る」…ということなのでしょうね。